斎藤道雄さんの本『手話を生きる』

斎藤道雄さんの『手話を生きる』という本を読みました。最近、ろうの人と知り合う機会があって何となく気になっているテーマだったので読んでみたのですが、知らないこと、誤解していたことばかりで衝撃の内容でした。

ろう者に対しては、聞こえないというハンディのある可哀そうな人、というイメージを持っていましたが、本の冒頭でいきなりそのイメージを一気に崩されました。ろう者同士は手話によって豊かなコミュニケーションができていて、自分たちのコミュニケーション方法に自信を持っているので、あえて聞こえるようになりたくはない、というのです。ろう者が、聴者(聞こえる人)と同じような方法でコミュニケーションできることを目指す、というのは、聴者の考え・希望であって、ろう者の思いとは一致していないというのは驚きでした。

『手話を生きる』斎藤道雄

それから、手話とひとくちに言っても、日本手話と日本語対応手話の2種類があるそうです。日本手話は、ろう者(聞こえない人)から自然に生まれた言語で、日本語対応手話は、聴者(きこえる人)によって人工的に作られた手話とのこと。ろう者にとっては、日本手話は自然な言語ですが、日本語対応の手話は、もともとの自分たちの言葉ではないので、ある意味外国語のように思えるそうです。

ろう者にとっては、日本手話こそ自分たちの言語なので、日本手話でしっかりと思考する能力がついてからなら、日本語対応の手話も学びやすいですが、無知や偏見によって、自分の言語を禁じられて他の言語の使用を強要されると、どちらの言語でも高度な思考ができなくなって、子どもの可能性を奪ってしまうことにもつながるそうです。まず、自分の言語を大切にしてそれでしっかりした思考を身につけることが一番大切だとのこと。

外国語、たとえば英語を話すとき、頭で考えていることがなかなかうまく言葉にできないですが、ろう者が日本語対応手話で話すことは、これに近いんだそう。だから、ろう者が日本語対応の手話を使えなくても、それによって思考力も低いとは言えません。外国語のテストでも、読解・聴解と筆記・口頭が分かれているように、理解と表現は別物だから、うまく表現できないからといって、理解できていないわけではありません。それと同じだな、と思いました。

ろう者と聴者がお互いに理解しあうことは、異なる文化をもつ外国人とのコミュケーションと似ているな、と思いました。同じものをみても、それを理解するときに着目するポイントが違って、見えているものが違うというのは面白い。こういう多様性のある社会は、とてもいいなと思います。

世界には6,000 から7,000種類の言語があるとされていますが、ある専門家の予測によれば、グローバリゼーションの影響もあって今世紀のうちに今話されている言語の20~50%が 消滅するということ。言語が消滅することは、文化、その文化をささえる考え方、アイデンティティがなくなってしまうことでとても悲しいです。自分の母語である日本語を大切にしていきたいな、と思いました。

日本手話と日本語対応手話を比べている動画をみつけました。日本手話の方は、手の動きだけでなく、表情、体の動きもふくめてとても豊かで生き生きしています。ちょっと標準語と方言の違いのようだな、と思いました。

cf.
〈 手話くらべ〜 〉日本語対応手話 & 日本手話 No.3 【 速いクルマ 】
危機に瀕する言語
地球ことば村「危機言語」

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