考え」カテゴリーアーカイブ

L’échappée Belle

今週末は、L’échappée Belle。レースに参加しようかどうしようか、直前まで迷ったんですが、身体も心もレースを楽しむ準備ができていなくて、レースが近づいてもワクワクという気持ちになれず不安が増すばかりだったので今回は棄権することにしました。

今までも2回参加していて大好きなレースだし、せっかくの貴重なレースのチャンスを無駄にするなんてもったいないという気持ちもあるし、コロナウイルス対策のために色々工夫して県庁に許可をとったりと一生懸命な主催者・レース関係者は素晴らしいと思うし、参加する選手のことを否定する気もないんですが、個人的にはやっぱり今回はレースに出る気持ちになれませんでした。

去年のアンドラのトレイルで出会ったステファニーさんの記事を読んで、あぁ、私も彼女の考えに近いなぁ、と思いました。(Stephanie Caseさんです。去年のアンドラ(ronda dels cims)では2位、2016年のTor des Gèantsでも2位になったりと、とってもパワフルな女性で私は彼女のファン!)
早く状況が落ち着くことを願いつつ、しばらくはレースぬきで自分のペースで楽しむ時間を大切にしたいと思います!

 

ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

イギリス在住のブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を読みました。多様性が大事大事と言われているけど、本当に異文化・多文化の理解ってできるのかなぁ、理解の壁になるのは何だろう、、、という疑問があって色々探していたときに見つけた本です。

格差、人種差別、貧困などの問題が、彼女と中学生の息子との会話を通じて、具体的なエピソードとして書かれていて面白く読みやすかったです。個人的には、水泳大会のエピソードが気に入りました。日本人とイギリス人のハーフである中学生の息子は、仙人ですか!と思うような深い発言をするのでびっくりです。外国で様々な問題を肌で感じて葛藤しながら育つと、こんなに大人びた子どもになるんでしょうか。。。子どもを侮るなかれ、だな!


本の中にでてきた「エンパシー」という言葉は初めて知りましたが、イギリスの学校では「シティズンシップエデュケーション」の導入が義務づけられていて、こういうことを学校で習うんだそう。「シンパシー」と似てるけど違う「エンパシー」という言葉。意味は「他人の靴を履いてみること」、つまり「自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだと思えない立場の人々が何を考えているのかを想像する力」とのこと。頭で分かってはいてもなかなか難しいことだからこそ、学校でもこういう教育に力をいれてるんだろうなー、と思いました。

斎藤道雄さんの本『手話を生きる』

斎藤道雄さんの『手話を生きる』という本を読みました。最近、ろうの人と知り合う機会があって何となく気になっているテーマだったので読んでみたのですが、知らないこと、誤解していたことばかりで衝撃の内容でした。

ろう者に対しては、聞こえないというハンディのある可哀そうな人、というイメージを持っていましたが、本の冒頭でいきなりそのイメージを一気に崩されました。ろう者同士は手話によって豊かなコミュニケーションができていて、自分たちのコミュニケーション方法に自信を持っているので、あえて聞こえるようになりたくはない、というのです。ろう者が、聴者(聞こえる人)と同じような方法でコミュニケーションできることを目指す、というのは、聴者の考え・希望であって、ろう者の思いとは一致していないというのは驚きでした。

『手話を生きる』斎藤道雄

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「見る」と「会う」、「行く」と「来る」、そして 「寿司」と「SUSHI」

フランス人が書く日本語の作文で、よくこんな文を目にします。

「友達を見に行きます。」

「友達を見に行く」っていうと、噂になるようなちょっと変わった友達がいて、その友達がどんなだかこっそり見にいく感じをイメージしてしまいます。でも、ここでは別にそういうことを言いたいわけじゃなくて、ふつうに「友達に会いに行きます。」と言いたいだけ。どうして、「会いに行きます」が「見に行きます」になってしまうかと言うと、友達に会いに行きますという意味のフランス語の文「Je vais voir mes amis (I go to see my friends)」にある「voir」という単語を辞書で探すと、最初に出てくる日本語の意味が「見る」だから。で、「voir」=「見る」と訳して「友達を見に行く」という文ができるというわけ。「voir」には「会う」という意味もありますが、辞書では4番目とか5番目とかもっと後ろの方で紹介されています。

景色や品物などに対しては「見に行く」を使うけど、人に対しては「見に行く」はあんまり使わないということを説明したくて、何かいい例がないかな、とあれやこれや悩んでいたら、「いま、会いにゆきます」のことを思い出しました。市川拓司さんによる恋愛小説で、映画化やドラマ化もされているあのヒット作です。この作品、フランス語にも翻訳されているのかな、とネットで探してみたらありました。J’ai lu、Flammarionという2つの出版社から出ているのを見つけました。

まず、表紙を見て驚きました。私のイメージする作品のイメージとかけ離れていたから。J’ai luでは、なぜか着物を着た女性が表紙になっていて、Flammarionでは、なぜか小さな女の子が表紙になっています。フランス人からみた日本やアジアのイメージに合わせて、売れやすいようにこういう表紙になったんでしょうか。。。

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外出制限が始まってから、ほぼ4週間

3月17日(火)に外出制限が始まってから、ほぼ4週間が経ちました。
今日はとてもあたたかくて、昼間は窓際にずっといると半そででも暑いぐらいなので、窓際を離れて、部屋の中の方にいました。少し前までは、全然想像もしていなかった生活です。今もたくさんの方が毎日亡くなっているし、これからどうなるのかも分からないですが、今私にできるのは、人と接触する機会が増えるような外出を控えて、人との距離をきちんととって生活することだと思っているので、これからもそれを守っていきたいと思っています。

外出制限が出された当初は、今よりももっと分からない情報が多くて、もっと混乱していました。外出をしてはいけないということで、今までしていたことが普通にできなくなるわけですが、なぜ外出がだめなのか、どこまでの外出がだめなのかが分からなくて、今まで自分がやってきたことを犠牲にしてまで指示を守らなければいけないことの意味が分からなくて、反発の気持ちがありました。でも、今は、感染を防ぐために移動制限したり、人と会う機会を減らすことが重要だということが分かったし、政府の指示も前より明確になっているので行動しやすいです。(指示があいまいだと自分のいいように解釈したくなりますが、明確な指示だと、「あ、そこまではダメなのかと」スッパリ諦めがつく、というような。)

最初は、自宅でのオンラインでの仕事にも慣れなかったけど、今は、家でも仕事がつづけられている状況がありがたいと思っています。私は1人暮らしだから、これでもし人とも会えなくて、仕事もできない状況になっていたら、精神的にもっと辛かったと思います。普段は、沢山の人に会って人間関係に疲れると、1人になりたい!という衝動がわきあがるけど、こうして人に会えない時間が長く続くと、人に会いたいという気持ちが普段より強くなる。オンラインでも人と話すと元気になれるので、あらためて、友人や家族、職場の仲間は大切だな、1人では生きられないんだな、と実感しています。

それと、生き物(植物もふくむ)の力は偉大だな!と。家でパソコンに向かってばかりいると運動不足になるし疲れるのですが、そんなときに、野菜(かぼちゃなど)に触ると、とっても気持ちが落ち着くんです。ちょっと大げさですが、野菜の生命力と、それを育てた人の愛を感じてしまいます。

今日は、久しぶりに、両親と妹とスカイプをしましたが、みんな元気そうで安心しました。甥っ子ちゃんは馬が大好きなんですが、この前は、食パンを馬にみたてて、パカパカ、ゆ~らゆ~らと楽しそうに遊んでいました。思う存分遊んだ後に、困り顔で「お馬さん、動かな~い。」と言ったと思ったら、パクっと食べてましたが!(驚!)子どもみたいに想像力があったら、たとえ家から出られなくても、お馬さんと遊べるんだな!うらやましい!私も想像力をふくらませて、楽しもうと思う。

外出制限の最初のころは、なげやりな気持ちになったり、やる気がなくなったりして、好きなランニングもしばらくできていなかったですが、今は、人気の少ない早朝をねらって、規定の距離・時間(自宅から半径1キロ以内で1時間以内、1日1回)を守って、1人で近所を走っています。本当は山に行きたいですが、遠くの山に行かなくても、近所でも普段と違う道を選んだり、ちょっとより道したりすると、結構発見できることもあります。少しの時間でも、肌に風を感じながら走るのは気持ちいいです。自宅にいる時間がとても増えたので、本を読んだり、気に入った記事や歌詞などを手書きで書き写してみたりと、インドアでの楽しみも開拓中です。

私は専門家ではないから、医療行為をしたり、病気に関する専門的な意見を言ったりはできないけど、今はパニックにならずに、冷静に自分のできることを淡々とやって、コロナウイルスが落ち着いたときのために、色々楽しいことを考えたりして準備しておこうと思っています。

cf.
-「馬」折り紙”Horse”origami

買い物、エア花見、踏み台昇降など

今日は、1週間ぶりに買い物にいきました。外に出て少し歩くと、風を感じて気持ちいい。
スーパーは、レジ係の人とお客の間には透明のしきりがあるし、店内でもお客同士で距離を気にして、よそよそしくて、警戒しあっているような変な感じでした。イスラエルの歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリさんが、コロナ後の社会は、監視社会になるんじゃないかと言っています。怖いけど、現実味があります。確かに私も、ここ二週間ぐらい学生の様子を知るために、オンライン授業へのアクセス状況を確認する機能をよく使ってました。こういう機能があるのは前から知っていたけど、前は時々しか使っていなかった。

先週は、はりきって開店より少し前にスーパー行ったけど、10人ぐらい行列してました。ちなみに、スーパーには、家族や友人とは一緒に入れなくて、基本的に1人ずつです。店内の人数制限もあるので、1巡目には入れきれなくて、結構待たされました。それからは、1人店内から出たら1人入る、というような感じなんですが、ようやく私の番が来た~!と思ったところで、入店待ちの行列の反対側から歩いてきた年配の女性が、スススススーッと私たちの行列の前を横切って、サッと店内の入ってしまいました。あまりに自然で素早くて一瞬なにが起こったのか分からず。私の後ろにいた人も、おばあさんのあまりにも予想外な行動に、目が点になっていました。唖然!マナーの悪い若者ばかりが取り沙汰されるけど、こういうお年寄りもいるんだなぁ。。。

ウェザーニュースが、お花見VRというサイトを作っていて、バーチャルでお花見ができるそうです。日本の花見の名所の映像が自分の好きな角度から楽しめるのは面白そうだなと、ためしに見てみたら、自分でもなんでなのか分からないけど、急に涙がでてきた。綺麗だから?感傷的になっているから?それとも、本物じゃなくて映像で花見をしているのが悲しいから?本当に自分でもよく分からなかった。

最近は、心と体の健康のため、家にある椅子を使って、踏み台昇降みたいな運動をしています。なかなかいい汗をかきます!それと、気晴らしに、絵を描いたり。
今まで気づかなかったけど、うちからは、鳥の声がよく聞こえます。最近、前にもましてパソコンばかり使っているので、目が疲れるし、手は腱鞘炎になりそうです。昼ごはんを食べたあと、ちょっと目をつぶってゆっくりボーッとする時間をとっています。

鳥の声:

 

Les Frangines – Donnez-moi (Clip Officiel) シンプルで明るい気持ちになれる曲。
Pomme – anxiété  Pomme – anxiété Pommeの声はとっても素敵です。Pommeは、フランス語で「りんご」、anxiétéは「不安」という意味。
Pomme – anxiété (autoharp session)オートハープのバージョンもかわいくていい感じ!

門田隆将さんの本、「死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発-」

ジャーナリストでノンフィクション作家の門田隆将さんの本、「死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発-」を読みました。2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、福島の原発で起きていたことが書かれている本です。事実に基づいた内容で難しい専門用語はなく、専門家でない私でもとても読みやすく、一気に読んでしまいました。現場の人たちの思いやその背景も丁寧に書かれていて、今まで知らなかったあの時の現場の人たちの気持ちや行動を知ることができました。緊迫した状況の中で、一番大切なものは何なのかを瞬時に判断して、冷静に勇敢に対応した吉田所長にはとても感動しました。そして、吉田所長をはじめ、現場で最後まであきらめずにたたかってくれた人たちに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

あの時、私は福島から大分はなれた東京(新宿)の会社にいたけれど、棚から本がバサバサ落ちたり、コピー機が飛んだりと、今まで経験したことのないくらいの長くて大きな揺れでした。電車がとまっているので何時間も歩いて家に帰ったこと、道路を歩く人の行列がなんだか戦時中みたいで怖いなと感じたこと、その後次々と起こる予想を超える事態に、日本はもうだめになってしまうのかな、普通に息をしたり走ったりするのもできなくなってしまうのかと不安に思ったこと、現実味が持てなくて、自分が映画の中にいるようだなと思ったこと、色々な情報が飛び交って何を信じていいかわからないので何とかして本当のことを知ろうとしたことなど、この本を読みながらあの時の記憶がよみがえってきました。

日本では、3月6日(金)に、この本を原作とした映画「Fukushima50」が公開されたそうです。本を読んだあと、この映画の予告編も見たら、また涙が出そうになりました。

幸いにも、彼らのおかげで最悪の事態は免れたけど、この事故で多くの方が亡くなった。原発の廃炉や汚染水処理はまだまだ終わっていなくて、今後も膨大な時間とお金がかかる。人間は、本当に途方もないものを作ってしまった。。。

Rencontres Ciné Montagne

先週(11/5-11/9)はGrenoble Palais des Sports でRencontres Ciné Montagne という山の映画祭がありました。私は最終日の土曜日(11/9)に見にいってきました。広い会場は満員で、すごい熱気でした!

会場で:
会場に入ってうろうろしながら、ふと前をみるとトレイルランナーのFrançois D’Haeneがすぐ近く(半径1メートル以内ぐらい)にいました。落ち着いたオーラで、とっても大きかった!同じ空気を共有でき満足!
このイベントの司会は、ジャーナリストのThibault Leducとトレイルランナー/スカイランナーのHillary Gerardiでした。アメリカ人の彼女はグルノーブルに住んでいたことがあり、今はシャモニーに住んでいるそうです。ハキハキしゃべってとても感じが良かったです。動画を見たら、走りもすごい!

シルヴァン・テッソンという人:
会場には、スポンサーのブースや、山や旅に関する本や写真のコーナーなど色々あったので、映画が始まる前にあたりをブラブラ。友人がシルヴァン・テッソン(Sylvain Tesson)という作家のことを教えてくれて、面白そうだったので、彼の本を1冊買ってみました。シルヴァン・テッソンは、地理学者で冒険家で作家の彼は、フランスではとても人気だそうです。全然知らなかった~。

ヒマラヤ(ブータンからタジキスタンまで5000km)を5か月かけて旅したり、極寒のシベリアで6か月間も1人で暮らしたりと、やることがすごいです。彼はパリ生まれで、ノートルダムにもよくよじ登っていたそうです。(高いところは景色が綺麗なので、高いところが大好きだそう。)
色々な本があって迷いましたが、彼の本を1冊買ってみました。

「Sur les chemins noirs」(直訳すると、「黒い道で」)というこの本は、シルヴァン・テッソンが2015年の夏から秋にかけてフランスを徒歩で縦断した時のお話です。世界中を旅している彼ですが、転落事故のあと動けなくなり病院で過ごします。リハビリのために病院の中を歩くようにお医者さんに言われましたが、それなら自然の中を歩いた方がいい!フランスを徒歩で縦断しよう!と思いつき、あえて都市化されてないない誰も行かないような村や、草が生い茂っているような荒れ地を通るルートを選んで歩いたとのこと。考えることがすごい!まだ読み始めたばかりですが、ゆっくり読み進めたいと思います!
シルヴァン・テッソンの動画をみつけました。怖くてちょっと近寄りがたいおじさんです。

映画:
この日上映されたのは、トレイル、山スキー、登山、パラグライダー、ハイラインなど色んなジャンルの6つの映画。映画の詳細はこちら。(仏語です。)

  1. L’Echappée Belle」:ウルトラトレイル(Belledonne avec François D’Haene)
  2. Un Printemps suspendu」:山スキー(マッターホルン、モンブラン、アイガー)
  3. Fly the Alps」:登山とパラグライダー(スロベニアからモナコまで7つの国を横断)
  4. CHANGABANG – Les miroirs d’une répétition」:山岳部隊のヒマラヤ登山訓練
  5. Red Lake party」:ハイライン/スラックラインとバンジージャンプ(クロアチアのRed Lake)
  6. Mbuzi Dume」:片足(松葉づえ)でキリマンジャロ登頂

上映前には、会場の天井から、山岳救助隊の人が降りてきて、怪我した少年を助けるというパフォーマンスもありました。それから、山岳救助隊の人の話があって、「山はワクワクする冒険のフィールドだけど、同時に危険な場所です。死がとても近くにあります。亡くなった方のことを祈りましょう。」と、会場にいるみんなで起立して山で亡くなった方を思って祈りをささげる時間がありました。映画の上映前に、こういう時間をとるのは、とてもいいなぁ。

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最近のことをつらつらと

1. 怒涛の日々
9月に新学期が始まってから怒涛の日々で、1週間がたつのがとっても早くて毎週追われるように過ぎていたけど、ようやくToussaintのお休み。本当にヘトヘトなので、ちょっと引きこもりたいと思います。生活サイクルが夜型になって疲れがとれなくてダメな感じなのです。。。
私は夜が苦手で、夜起きて作業しても頭がボーっとしてしまって全然アイデアが浮かばないし、間違いが多くなるばかりなんですが、一度寝たら間に合わなくなる気がしてそれが嫌で最近は夜型の日々が続いていました。でもやっぱり私には早寝早起きのリズムが合ってるみたい。子どもの頃からおばあちゃん体質(笑)。夜はスパっと寝て、朝早めに起きてやる方法にかえたいと思う!

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これからのこと

年末年始は、日本で家族や友達と、とってもいい時間を過ごしました。
フランスに戻る飛行機にのったときは、すごく悲しい気分になりました。
でも、フランスに戻ってきて、見慣れた景色が見えてきたら、あー、戻ってきた~と嬉しい気持ちも出てきたりして。
グルノーブル生活が5年になり、グルノーブルへの愛着も深まってるんだな、と実感。
フランスと日本、半々ぐらいで生活できるのが理想だなぁ。
やりたいことが盛りだくさんだけど、やろうとすると、自分に足らないことがたくさん見えてくる。
できることから、コツコツやっていこうと思う。

アンリ・ベルクソンの名言

10月18日は、フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941)の誕生日です。
彼の名言に、こんなのがあります。
「 行動力のある者のように考え、思考力のある者のように行動せよ。――『時間と自由』 」
原文:Il faut agir en homme de pensée et penser en homme d’action.

プチダノンのCMみたいだな~と思ったのは、私だけでしょうか。

cf.
プチダノンのCM (頭ばかりでも体ばかりでもだめよね 、プチダノン ♪ )

今日は、夏至。

毎日暑いです。
今日は、夏至。北半球では、一年で一番昼間が長くなります。ここで一句。
  夏至ゆうべ地軸の軋む音少し 和田悟朗
夏至とか冬至とかの機会には、なんだか地球に思いをはせてしまいます。
和田さんも、地球のことを思っていたら、地軸の軋む音が聞こえたんでしょうか。
夏至つながりで、もう1句。
今度は、夏至ではなくて、『ゲジゲジ』です。
ゲジゲジは、あの気持ち悪い虫です。ゲジ科の節足動物で、ゲジゲジは俗称だそうです。
  遁走のげぢげぢの脚揃ひけり 村上喜代子
ゲジゲジが、一生懸命足を動かして急いで逃げている様子が目にうかんで、気持ち悪いです!

誘いを断る

フランス人の学生に、「Je peux pas, j’ai poney」という表現を教えてもらいました。
誘いを断りたいときに、この表現をつかうそうです。
日本語にすると、「(Je peux pas)行けません。/ できません。(j’ai poney)ポニーにのる日だから。」です。
もともとの表現は、ポニーの部分がプール(piscine)で、「Je peux pas, j’ai piscine」
「行けません。プールに行く日だから」だったそうですが、ポニーやプールの部分を自分流にいろいろ変えて使うことができるそうです。
たとえば、
「Je peux pas, j’ai licorne」(行けません。ユニコーンにのる日だから。)
「Je peux pas, j’ai couture」(行けません。お裁縫をする日だから。)
「Je peux pas, j’ai fortnite」(行けません。fortnite (テレビゲーム:フォートナイト)をする日だから。)
「Je peux pas, j’ai aqua poney」(行けません。プールとポニーの日だから。*プールとポニーを組み合わせて。)

日本人は、誘いを断るとき、あんまり直接的に理由を説明しないで、「ちょっと用があるんで…。」言うことが多いです。
理由がよくわからなくて、誘ったほうも、断る方もちょっと気まずくなるときが時々ありますが、
「Je peux pas, j’ai poney」みたいなユーモアのある表現で断れたら、おもしろいな!

j’ai piscine という歌のビデオと歌詞をみつけました。
興味のある方は、下記のリンクから見てみてください。

cf.
Keen’V – J’ai piscine (ビデオと歌詞)

浴衣を着て


この前の火曜日、日本人女性で集まって、浴衣を着てレストランでアペロをしました。
浴衣を持っていなかったので、友人が貸してくれました。楽しかったです。
夏といえば、怖い話だよね、ということから始まり、日本の怪談て、海外にはない独特の怖さがある、湿度のせいかな、という話になりました。
たしかに、気候と文化って密接なつながりがあると思う。
日本はじめじめした気候だから、あのじめっとした何ともいいようのない怖い感じの怪談が生まれるんだと思う。
南国の暖かく陽気な気候に、怪談は似合わない。
カミュの『異邦人』で、主人公のムルソーは殺人の理由を聞かれて、「太陽がまぶしかったから」とこたえます。理不尽だけど、なんか分かる気がする。
天気とか気候って、人間にとても影響をあたえるもので、人間の力の及ばないものだから。
そして、自分の行動って、時々理性を超えることがあるから。

小学校の塀に

撮影:実家の母

実家のそばの小学校の塀に書いてある言葉。

– あいさつ
– へんじ
– あとしまつ

「あいさつ」と「へんじ」と「あとしまつ」は大事ですよ、と言っています。
「あとしまつ」は、「あとかたづけ」の意味で言っているんだと思いますが、
「あとしまつ」というと、会社の重役達が、不祥事のあとしまつで、頭をさげて奔走している姿を連想してしまい、違和感があります。。。
たしかに、「あとしまつ」のほうが、「あとかたづけ」より語呂がいいですが。

右側の塀には、以下の5つのあいさつが書かれています。

– おはようございます
– ありがとう
– しつれいします
– すみません
– さようなら

「しつれいします」というあいさつは、
場合によって、「ありがとう」の意味だったり「すみません」の意味だったり、それともちょっと違う意味だったり、フランス語に訳そうと思うと、訳しにくい。
日本語って面白いな~

Brié と Brie

Crêtes d’Herbeys から。右奥に見える白いところがグルノーブルです。

友人とBrié – Montchaboud あたりを走りました。ぺちゃくちゃしゃべりながら、不真面目に。
気持ちのいい天気で、色んなものに出会いました。
散歩の人、ランナー、自転車、バイク(トライアル)、牛、馬、 などなど。
あぁ、いいとこだ。よい日曜の朝でした。ありがとう。

Briéは、Grenoble を少し南にいったところにあります。
Briéの文字をみたとき、ブリーチーズみたい、と思いましたが、ブリーチーズとは関係ないそうです。(ブリ―チーズのブリーは、パリ盆地の東にある地方の名前(Brie) から来ている。)

BriéとBrie、似てます!
「e」 の上で何やらフランス語っぽい雰囲気を醸し出しているのは、アクサン・テギュという記号です。アクサン・テギュのことを考えていたら、ある日本人の先生に、フランス語を始めたきっかけを尋ねたときのことを思い出しました。

私:「先生、なんでフランス語を勉強しようと思ったんですか?」
先生:「アクサン・テギュって素敵でしょ。私、アクサン・テギュが気に入ってフランス語を始めようって思ったの。」
私:「?! そこに注目ですか!」

きっかけって、意外と単純なことだったりする。

cf.

チーズの産地:イル・ド・フランス(ブリ―チーズ)
アクサンとお近づきになる

鏡をみながら

夜、鏡をみながら、ふと思いました。
私のほくろは、口の右上にある。
でも、鏡にうつったほくろは、口の左上。
ということは、私は自分の本当の顔を一度もみたことがない!?
え、と思って左手で左側をたしかめてみたけれど、そこにはほくろはなく、
右手で右側をたしかめたら、やっぱりそこに、ほくろのふくらみがあった。
左が右で、右が左で、と色々考えていたら、わけがわからなくなり、眠ることにしました。

翌朝、目が覚めて、急に、「あ」と思いました。
あー、写真。
写真にうつった私は、ほくろが右側についてるよな。
自分の見ている世界は、他の人の見てる世界と違うんだな。
そして、技術の進歩で、見える世界もどんどんかわるんだな、と、ふと思った朝でした。