フランス人が書く日本語の作文で、よくこんな文を目にします。
「友達を見に行きます。」
「友達を見に行く」っていうと、噂になるようなちょっと変わった友達がいて、その友達がどんなだかこっそり見にいく感じをイメージしてしまいます。でも、ここでは別にそういうことを言いたいわけじゃなくて、ふつうに「友達に会いに行きます。」と言いたいだけ。どうして、「会いに行きます」が「見に行きます」になってしまうかと言うと、友達に会いに行きますという意味のフランス語の文「Je vais voir mes amis (I go to see my friends)」にある「voir」という単語を辞書で探すと、最初に出てくる日本語の意味が「見る」だから。で、「voir」=「見る」と訳して「友達を見に行く」という文ができるというわけ。「voir」には「会う」という意味もありますが、辞書では4番目とか5番目とかもっと後ろの方で紹介されています。
景色や品物などに対しては「見に行く」を使うけど、人に対しては「見に行く」はあんまり使わないということを説明したくて、何かいい例がないかな、とあれやこれや悩んでいたら、「いま、会いにゆきます」のことを思い出しました。市川拓司さんによる恋愛小説で、映画化やドラマ化もされているあのヒット作です。この作品、フランス語にも翻訳されているのかな、とネットで探してみたらありました。J’ai lu、Flammarionという2つの出版社から出ているのを見つけました。
まず、表紙を見て驚きました。私のイメージする作品のイメージとかけ離れていたから。J’ai luでは、なぜか着物を着た女性が表紙になっていて、Flammarionでは、なぜか小さな女の子が表紙になっています。フランス人からみた日本やアジアのイメージに合わせて、売れやすいようにこういう表紙になったんでしょうか。。。
- 小説:いま、会いにゆきます
- 映画:いま、会いにゆきます
- Je reviendrai avec la pluie[J’ai lu]
- Je reviendrai avec la pluie[Flammarion]